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  • 執筆者の写真中央大学新聞

下田条約締結の地 了仙寺を訪ねて

◇了仙寺(ジャスミン寺)とペリー来航

 我々は下田市内散策の一環として、まず了仙寺を訪れることにした。了仙寺は、下田奉行今村伝四郎正長が創建した日蓮宗の寺院である。嘉永七 (安政元・一八五四)年五月に、上陸したぺリー一行の応接所として利用され、日米和親条約の付録条約である下田条約が調印された寺院として知られている。現在は、下田条約締結の地として国の指定史跡文化財に選ばれている。ペリーロードの道中に創建されている同寺院は、レトロな街並みの中でも、ひと際落ち着いた雰囲気を醸し出していた。また、畳や仏具などどこか懐かしさを感じるような内装は、まさに日本人古来の精神を象徴するものであった。世界情勢に大きな変化をもたらす重大な条約を締結する上で、このような落ち着いた空間が必要であったに違いない。了仙寺はどうやら「ジャスミン寺」との異名を持つらしい。その名前は、境内に約千株も植栽されているアメリカジャスミン(ニオイバンマツリ)に由来している。見頃を迎える五月頃に合わせて「香りの花まつり」が開催され、アメリカジャスミンの異国情緒あふれる香りに誘われた、多くの観光客が訪れているとのことだ。我々が訪れた九月のジャスミンは、夏の終わりを感じさせる様相を呈しており、五月の時点とは異なった趣を味わうことができた。とはいえ、アメリカジャスミンが咲き乱れ、人々が賑わっている様子を想像したところ、再びこの地を訪れてみたいと思った。


下田了仙寺の境内             (奥にあるのがMoBS黒船ミュージアム)


◇了仙寺境内にある遺跡

 本堂の左側に、奥に続く細い小道があり、その先に横穴 (洞窟)遺跡がある。この洞窟は、了仙寺横穴遺跡と呼ばれ、約一三○○年前から約一四○○年前の古墳時代に墓として利用されていたと考えられている。洞窟内からは、人骨、勾玉や水晶製の切子玉などの玉類、金銅製の腕輪や耳飾りなどの装身具、土師器 (はじき)や須恵器が出土している。これら副葬品の質や量から、同遺跡はこの地域の有力者の墓であると推測されている。外側から内部の様子を探ってみたところ、深く屈まなければ入れないほどに狭く、ライトで照らさなければ視界に捉えることができないほどに暗い。戦時期には防空壕として利用されていたこともあり、その形状は時代とともに変化していると指摘される。この洞窟は、人々の生活と密接に結びつきながら、現代まで受け継がれている「人類の遺産」であり、将来に継承していくべきものであると感じた。


了仙寺横穴遺跡の様子

◇宝物館にある貴重な史料の数々

 また、境内には「MoBS 黒船ミュージアム」と呼ばれる宝物館が設置されている。三○○○点以上の開国に関する資料の原本を所蔵している。十六世紀から十九世紀にかけて作製された、絵巻や図画、書籍や古地図が展示されている。ミュージアムショップでは、幕末・開国期にちなんだオリジナル絵葉書やお土産品を購入することができる。展示品はいずれも原本 (実物)であり、ここでしか見られない貴重な史料が並ぶため、了仙寺本堂への拝観とともに訪れたい場所である。(建川)

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