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執筆者の写真中央大学新聞

江戸上水と中央大学キャンパス

 10月1日の「都民の日」に、東京都は施設の無料公開や記念行事を行っている。多摩キャンパスのお隣の多摩動物公園も、都民の日は入園料が無料となるため、家族連れで大賑わいだったようだ。

 今年の都民の日には、文京区にある東京都水道歴史博物館の記念行事「江戸上水歴史講座と史跡めぐり」に参加した。午前に江戸上水道に関する歴史講座を受けたあと、史跡巡りで小石川キャンパス付近を歩くイベントだ。上水道に関する当時の人々の努力に感銘を受けるとともに、中央大学の各キャンパス近くの地名に江戸上水の痕跡が残っていることに気づいて興味深く感じた。この記事では、江戸上水について中央大学のキャンパス付近の地名や地形に絡めながら紹介していきたいと思う。

 海に近い江戸では、井戸を掘っても塩水が出てきてしまう地域が多く、大勢の人々が住むのに適さなかった。徳川家康が江戸に来た当初、上水道の早急な整備が求められていたのである。整備された上水道は、江戸の市民の生活を支え、近代に入った明治33年まで使用された。

 主要な上水道は2つあり、その中で最も古くから活用されていたのが神田上水である。神田上水は、吉祥寺の井の頭池を水源として、主に神田・日本橋地域の町家に給水していた。

 元和年間(1615~23)の神田川の開削によって、神田上水は神田川と交差することになり、川の上に神田上水を流す掛樋が設けられた。これが、現在の「水道橋」の地名の由来である。掛樋は現存してはいないものの、御茶ノ水駅と水道橋駅の間に神田上水懸樋記念碑が存在する。

 新しい法科大学院の最寄り駅となるJR御茶ノ水駅からは、神田川の開削によってできた美しい江戸城外濠を見ることができる。もっとも、その深い渓谷風の外濠は、自然の地形を利用したものではない。幕府の命を受けた仙台藩が、高い台地を強引に切り拓いて人口的に谷を作ったものであるというから驚きである。

 さて、後楽園キャンパスの後楽園の名前は、近所の小石川後楽園(特別史跡・特別名勝)が由来となっている。小石川後楽園は、水戸徳川家の大名庭園であり、中国の范仲淹『岳陽楼記』の「先憂後楽(天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ)」といった君主の心得から名付けられている。江戸時代の後楽園は、現在の東京ドームを含む広大な水戸藩の敷地内にあり、神田上水はその内部を通っていた。水質や安全管理のために、御三家である水戸徳川家の屋敷に上水道を通していたとも考えられている。

 現在も後楽園内では、神田上水跡を見学することができる。今は地下120mからポンプで水を汲み上げて園内に流し、植物を利用した浄化装置に送って水を循環させることで、園内の水景を維持している。

 もう1つの主要上水道が、玉川上水である。多摩キャンパスの最寄りの中央大学・明星大学駅から上北台行きのモノレールに乗っていくと「玉川上水駅」に着き、駅の南側では玉川上水が東西に流れていて散歩を楽しめる。このことからもわかるように、玉川上水は多摩地域(現在の羽村市)から江戸市内に水を提供する上水道であった。江戸時代にはポンプの技術が発達していなかったので、水の性質の通り高低差を利用して水を流す必要があった。そのため、できるだけ地形の高いところを沿うように、約43㎞にわたって水路が掘られている。

 多摩地域の大学キャンパスは、都心からの距離が問題視され、都心に回帰する傾向にある。もちろん重機も存在しなかった時代、遠い多摩地域から都心へと水路を掘り進めていった当時の人々の苦労が偲ばれる。(田村)

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