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  • 執筆者の写真中央大学新聞

独特の空気感漂う宮島と、鳥居の見えない厳島神社

 東京駅から広島駅まで新幹線で凡そ4時間。長旅で疲れた体をさらに酷使して向かうは、宮島フェリー乗り場である。疲れによる半ば放心状態で波の動きを目で追っていた。宮島には15分ほどで着いた。


 

 桟橋を降りると、まず数々の飲食店が目に入った。あなごが名産らしく、ほとんどの店の看板にあなごの文字が見える。他にも、辺りを見渡せば、もみじ饅頭、瀬戸内レモン、ひょうたんなど、広島県の特産物が店頭に並んでいた。また、ことあるごとに鹿が目に映る。普段筆者を取り囲む環境とは、明らかに違う景色が広がっている。宮島を取り囲む特殊な空気感に気も漫ろとなり、半ば現実味のないまま歩いた。



 厳島神社に行った。厳島神社といえば、水の上に浮かぶ鳥居が印象的だ。筆者はあの神秘的な光景が好きである。しかし、どうやら大規模な保存修理中で、本来の姿を拝むことはできなかった。そんなことは事前に調べて分かっていたのだが、実際に人為的な足場を組まれ、ほとんど姿を見せない鳥居を目にして、落胆せずにはいられなかった。なにせ、あの鳥居の姿形に惹かれ、源平合戦においては平家方の肩を持つくらい好きだったのだから、仕方がない。

 暫くどこか鬱々とした気持ちを抱えて歩いていたが、そんな気持ちは厳島神社の廻廊を歩いているうちに吹き飛んだ。その中の光景が、頭の中にある鳥居のイメージと同じくらい、幻想的だったからだ。




赤と白を基調とした配色に、廻廊の下を緩やかに流れていく水、その上に堂々と構えている廻廊。全てが美しかった。厳島神社の神秘性は、鳥居だけが生み出したものではなかった。それは、海の上に建てるという人並み外れた発想力と、神社を寝殿造りで建てるというどこまでも和を意識した建築様式によって、成り立っているのだ。鳥居は、数ある要因の一部に過ぎず、鳥居が見えないからといって、落ち込むのは浅はかであった。固定概念が取り払われゆく意識の中で、厳島神社の魅力を堪能した。(江崎)

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